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2021-12-28
雪の季節、別れの季節
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新緑野岩静養記 #2
下町に雪が降った日 前編
みなさまお久しぶりです。
ブログの更新を全くやっておらず、季節が夏と秋を飛ばす結果になってしまった。
飛ばした分も記事にしていこうと思うので、ご了承いただきたい。

さて、12月に衝撃の発表がなされた。
6050系が東武線内からほぼ撤退、会津線の会津高原尾瀬口~会津田島間からの撤退、そして野岩鉄道の普通列車の大減便である。
下今市以南ではすでに20400系が主役になり、快速廃止時からずっと6050系が担ってきた急行の運用も全て奪われていた。
そしてそこにまだ安泰だった鬼怒川線の20400系によるワンマン化が発表され、6050系は鬼怒川温泉~新藤原の数本以外は東武線から撤退。
さらに追い討ちをかけるように会津線からの撤退、そして野岩鉄道線内では3月から1日たったの5往復と一気に6050系の運用が消滅することになったのだ。

もちろん、行かないという選択肢はない。
早速年末、野岩線内で大雪の予報が出たので6050系最後の勇姿を収めるべく出撃した。
12月28日、前日にレンタカーを借りて宇都宮を朝の5時に出発。 案の定今市を過ぎると雪が舞い始め、小佐越あたりで辺り一面銀世界となった。
そのまま車を走らせ、最初の撮影地は誰もが知ってる撮影地・川治温泉~川治湯元間の橋梁脇。



上り列車の始発。
まだまだ暗かったので1/4秒でブン流したが、さすがに無謀すぎた。 もちろん止まらなかった
ちょうと日の出のあたり。みるみるうちにあたりは明るくなっていき・・・



下り列車の始発が来る頃には山の全容が肉眼で見えるほどにはなってきた。
先ほどの失敗でチキンになったので1/20秒で、なんとか止まった。

昨年冬の撮影でも訪れた小網ダムも近いので行こうかなと考えたが、かなり雪が強く見晴らしが悪いと踏んで湯西川温泉へ。
ここも川治温泉と並んで誰もが知ってる野岩鉄道の撮影地である。
下り列車が連チャンでくるので、まずは橋梁の右側から。



雪が強く、背後の山が全く見えないがそれを逆手にとって幻想的な雰囲気に仕上げてみた。
暗い湖面に雪の粒が所々見えるのもまた良い。



今度は上り列車を橋梁の左側から。まず圧縮で1枚・・・



そして引いてもう1枚!決まった!ニャーベラス。
4年前にも雪の時に同じ場所で撮影したが、その時よりも雪のコンディションが劇的に良い。

さて、ここからさらに北上。
前回の時は電車での移動だったためにあまり駅から離れた場所での撮影ができなかったが、今回は車という最強の武器があるため移動し放題。
これまで行けなかった中三依温泉エリアの雪景色を撮影する。

R121と野岩線は所々で交差するので、その場所から撮れないかロケハン。
そして撮影できそうな場所を見つけたのでそこで撮影。



川と雪の組み合わせは一番良い。 山もかなりい感じで着雪しており申し分ない。

この列車は川治温泉で交換するのであまり時間に余裕がない。
それなので、2年前の深緑の時に訪れた国道脇のポイントで迎え撃つことにした。







前と後ろで1発ずつ。



そして切り位置を少し過ぎたところでもう1回。
前々から雪景色でやってみたいと思っていたところだったので良かった。
ちなみにこのエリアは「独鈷沢」と書いてとっこざわと読むらしい。 なかなか独特な地名である。

さらに北上し、次に向かったのは男鹿高原。
ちょうど区間快速の時間だったので接近戦狙いでいく。

男鹿高原の駅はR121から700m前後離れているが、いつもなら車で駅前まで乗り付けられる。
しかし、この時はすでに雪がたくさん積もっており、そして一日利用者の平均が1人にも達しないような駅では除雪されていないのも当然。もちろん車も入れない状況だったので雪中行軍するしかない。
足をとられ体力をそがれる中、なんとか男鹿高原の駅にたどり着いた。



「区間快速」新藤原行き。 来年3月のダイヤ改正で廃止されることになった。
まさか登場して1年で消滅してしまうとは・・・



そして撮りたかったのが後追い。
雪を吹き上げながら高速で走るため、顔には雪がべったり。
まるで動く冷凍庫のようなビジュアルである。 最高に6050に似合う。




30分後に来た普通新藤原行きは、定番の駅跨線橋からの撮影。
電車で来た人たちはこれに乗って南下していき、ふたたび駅に静寂が訪れた。
我々は車へと移動。



雪の中歩く同行者。
時折太陽が顔を出し、映画のポスターのような人の画が撮れた。



男鹿高原駅までの道のり。
こう見ると圧雪されて車が通れるようにも見えるが、膝上まで雪が積もっている。
あらためて雪の恐ろしさを身をもって感じることとなった。

車に戻り、いよいよ福島県へ。
福島県へ入った途端、道の除雪状況が良くなったからかスイスイ進むように。
そして最初は七ヶ岳登山口のカーブの撮影地へ。



警笛とともに6050が現れた。 カッコよすぎる!
ファインダーを持つ手が震える。



さらに引いて1枚!雪煙を大量に巻き上げながら驀進していくその姿、6050の真骨頂だ。

これの折り返し列車を今度は会津線の有名撮影地であるめがね橋にていただく。



山の木の着雪があまり芳しくなかったのでめがね橋の中を強調するような形で1枚。
かつてこの区間は国鉄→JR会津線だったことから歴史の深い構造物が多い。
ここでも6050をやったことがなかったので撮影できて満足。

昼ご飯を食べに会津田島へ。



大量の「来て。」のポスター。
ここまで大量に貼られると恐怖すら感じるレベル。 まるでメンヘラの女子みたいな勢いだ(?)
でも実際行ってない場所も多いので時間を見つけて行きたいところである。



会津なので昼ご飯は名物・ソースカツ丼をいただく。
うまい。この日は朝ご飯すら食べていなかったのでとてもいい腹の足しになった。

再び南下。 タイミングが合わず1本取り逃してしまった。
次に行ったのは会津高原尾瀬口駅付近の集落。



到着したタイミングでリバティがやってきた。
リバティに関しては3月以降も会津線会津田島まで乗り入れるそう。



そしてリバティと会津荒海で交換した普通電車がやってきた。



雪国に行くと明らかに家の形が関東のそれとちがって面白い。
雪が溜まるのを防止するためにかなりキツい傾斜をつけた屋根、防寒のために二重になった玄関などなど。 そして雪国では赤い屋根の家をよく見る気がする。

再び栃木県側に戻り、もう1本下りの6050を撮る。



かなりのハイスピードでいきなり飛び出てくるので切り位置をミスらないかかなりヒヤヒヤした。
さらに南下し、今度は中三依温泉で。
この時間帯に6050系同士の交換が見られるのでそれを画に収める。





まず会津方から上りがやってきて、



6050系同士が並んだ! 今後ダイヤ改正で普通列車が大減便されることからこの駅での交換風景はもう見れなくなるかもしれない。



すぐにドアを閉めて発車していった。

会津側へ戻り、ブルートーンと雪フラッシュで6050をやろうとしたが流しがあわずに失敗。
なかなかいい感じの時間帯だったので撮れなかったのがかなり悔やまれる。
3時間ほど6050系が来ない時間が続くので、旅の醍醐味・温泉。
会津田島の近くには温泉がなく、かといって湯西川などへ戻るほどの余裕はなかったので一つ街を越えて下郷町にある湯野上温泉へ。
「まごころの宿 旅館星乃井」という旅館で日帰り温泉。 
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(画像はネットから引用)
雪見をしながらの露天風呂は最高だった。 ちなみに露天というのに湯温は43度でかなり熱かった。



帰りがけに旅館の方から「じゅうねんうどん」というものをいただいた。
見た目的には蕎麦に見えなくもないが、これはうどんの粉に荏胡麻を混ぜたもので福島県の家庭料理だという。
日帰り温泉だけの我々にいろいろなサービスをしてくださったので、次回会津方面へ行くときはこの宿に泊まりたいと思う。

旅館を後にし、いよいよ最後の撮影「雪フラッシュ」を行う。
普通列車の時間までかなりギリギリだったため会津田島~中荒井の田んぼ沿いで撮影。
到着から5分としないうちに上り列車が来た。 いざ、撮影!



上り列車の後追いは成功! いい感じで止まった。
そして会津荒海で交換のため、下り列車もすぐに来る。





手前と奥で1発ずつ、こちらも決まった!
一度はやってみたかった6050系と雪フラッシュの組み合わせ、達成することができて感無量だった。


これにて全ての撮影は終了。
なんとか宇都宮線の終電に間に合い、順調に東京への道のりを進んでいたが突然小金井で抑止。
何かと思えば栗橋で車が線路に突っ込んだとのこと。 小山まで運転し、新幹線での振替輸送を実施するということでその恩恵にあずかることにした。



およそ5年ぶりの東北新幹線がまさか振替輸送という形になるとは・・・
小山から大宮まではわずか16分。 新幹線の凄まじいスピードの暴力を、身をもって味わうこととなった。


2月あたりにも野岩・会津へ行くつもりです。
乞うご期待。 あとこれからはちゃんと更新も続けていきます・・・
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